「会ってから、自由に好きにしていいよ」
そのメッセージを読んだとき、
一瞬、ドキッとした。
でもすぐに、胸の奥がザワザワと波立つのを感じた。
その人とは、マッチングアプリで出会った。
やりとりはスムーズだったし、話のテンポも合った。
写真の印象も悪くない。
何より、共通の趣味が多くて、「一度会ってみたいな」と思っていた矢先のことだった。
でも、その一言がすべてを揺るがせた。
「自由に好きにしていいよ」
それって、どういう意味?
まるで、会ってすぐに“何か”が起こることを前提としているようにも感じた。
私が警戒しすぎなのかもしれない。
でも、婚活をしていると、こういう一言に敏感になってしまう自分がいる。
過去、何度も似たような言葉を聞いてきた。
「君になら、何でも許せると思う」
「君の好きにしていいから」
「全部任せるよ」
それらの言葉は、優しさのように見えて、
実は責任を手放す言葉でもあると思っている。
「自由にしていい」と言われても、
こちらには責任も、期待も、恥じらいもある。
会ってすぐ、距離を縮めるのが当然と思ってるなら、
その時点で価値観が合わないのかもしれない。
でも、一方で――
ほんとうに、深い信頼の意味で言ってくれた可能性もある。
「構えなくていいよ」
「自分らしくいていいよ」
そういう意味だったなら、少し嬉しい。
けど、その境界線はいつも曖昧だ。
婚活って、言葉の重さを試される場面が多い。
たった一文で、「この人はナシだな」と思うこともあれば、
逆に一言で「会ってみたい」と思うこともある。
でも、“好きにしていい”という言葉ほど、
慎重に扱ってほしいものはない。
私は、会うことを一度保留にした。
理由は伝えなかった。
でも本当は、この言葉の意味をもう少し考えたかった。
私を本気で知ろうとしているのか。
ただ、軽く扱っているだけなのか。
それとも、自分自身が「信じること」に疲れているだけなのか。
婚活って、自分と向き合う作業でもある。
誰かに好きになってもらう以前に、
まず自分が、自分の気持ちを信じられるかどうか。
言葉に流されず、自分の感覚を大事にできるかどうか。
「自由に好きにしていいよ」
もし、次にこの言葉を言われたら――
私は、ちゃんと聞き返してみようと思う。
「それって、どういう意味で言ってるの?」
その答えが、ちゃんと私を大事にしてくれる人のものだったら、
そのときは、少しだけ心を開いてみようと思う。
婚活は、思ったよりも疲れるし、
うまくいかないことの方が多い。
でも、こうして言葉の奥を見ようとする経験が、
いつかきっと、誰かと真っ直ぐ向き合う力になると信じてる。
だから今日も、私は婚活をやめない。
信じることを、もう一度練習している最中なのかもしれない。